38歳、わたしには一体なにができるんだろう|職業訓練を受講するに至るまで

38歳、わたしには一体なにができるんだろう|職業訓練を受講するに至るまで キャリアチェンジ

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わんまる
わんまる

おや…なにやら切なげなタイトルですな…?

トヨモト
トヨモト

一体自分はなにができるんだろう」っていうのは、キャリアチェンジに向けて動き出すまでに、わたし自身が幾度となく自問したことなんだよね。

わんまる
わんまる

なるほど…

トヨモト自身が過去に自分に投げかけていた言葉ということですな…

トヨモト
トヨモト

そうそう。だから、いま同じような気持ちで悩んでいる人にとって、なにかヒントになることがあればいいな、と思って!
トヨモトのこれまでの経歴をまとめておくよ~

わたしは、38歳の頃に「WEBデザインを仕事にしたい」と思い、勤めていた会社を退職し、職業訓練校に通うことを決めました。
このページは番外編として、トヨモトのこれまでの経歴をまとめています。

信じて疑っていなかった

トヨモトは、愛知県出身です。
田舎というほど田舎でもない、かといって街とも言い難いような(車さえあれば)便利でのどかな町に生まれ、
ピアノや水泳や書道を習わせてもらったりしながら育ちました。

物心ついたころから、ずっと演劇に興味がありました。
最初の興味がどこからだったのかは、今となってはもう定かではありませんが、
小学校の頃、芸術鑑賞会と称して人形劇団が来てくれて、それを観ていたく感動したこととか
テレビで「アニー」の特集番組が放送されているのを、何とも言えない気持ちで見ていたことは、今でも鮮明に覚えています。

高校で演劇部に入り、高校演劇の世界で出役も裏方も経験しました。
女子高生役もやったし、OL役もやったし、博士役もやったし、男役もやりました。
脚本も書いたし、衣装も作ったし、大道具の配送業者を手配したりもしました。

高校卒業後の進路については、悩んだ記憶はほとんどありません。
役者になるのだ、ということを信じて疑っていなかった。
ただまず漠然と、とにかく「東京に行く必要がある」と思っていたように記憶しています。
動き始めさえすれば何かが始まる。
自分のことなのになんだか無責任な、根拠のない確信みたいなものがありました。

そして、映像演技を主として教える専門学校に通うために上京しました。

はじめてのアルバイト

発声、声楽、バレエ、ジャズダンス、パントマイム、殺陣、メイキャップ…
いろんな授業を受けながら、家と学校のあいだに位置するスーパーで、レジ打ちや品出しのバイトをはじめました。

はたらく、ということ自体がはじめてでしたが、苦戦したり大きな失敗をした記憶はないので
バイトデビューはそつなくこなせたのだと思います。
(この「そつなくこなせる」スキルが、あとあとトヨモトを苦しめることになります。)

肝心の専門学校のほうは、
1学年の修了時、成績優秀者として選出され、大きな公演のアナウンスをする機会をいただいたりなど、順調に学びを重ねていたものの、両親の離婚などさまざまな事情が重なり、一年半で中退することとなりました。

本末転倒の入口で耐え続ける

その後、スーパーでのアルバイトを辞め、居酒屋ではたらき始めました。
居酒屋バイトは、今の時代もそうなのでしょうか、当時は音楽や演劇をやっているひとが多く、その繋がりでたくさんの人に出会えて、他劇団のチケットもぎりや音響の手伝いをしたりする機会も多くありました。

その後、20代いっぱいまでは、劇団に所属などしながら、さまざまな「仕事」を経験しました。

コールセンター(保険・旅行・通販)、
東京駅にあるグッズショップの販売員、
めずらしいところだと、お笑いの劇場でチケットを売っていたこともあります。

いくつかの職種を渡り歩いているのは、待遇面で折り合いが合わなくなったり、稽古とのスケジュールの兼ね合いなどに加え、「役職付きにならないか?」や、「正社員にならないか?」との打診を避けきれなくなった、ということが多かったためです。

この頃はまだ「わたしは演劇をやりたくて東京に来たのに、ここで偉なってどうするんだ」「ここで評価されても意味はない」と、心底から思っていたのです。

なので、基本的には円満退社で、今でも親交のある人も少なくありません。
人には恵まれてきたなぁと、自分でも思っています。

夢は終わった

30代に入ろうという頃、演劇から離れることにしました。
「よし!ここまで!」と、離れたわけではなく、ゆるやかに、少しずつ距離を置いて、これからは好きなエンタメ業界のどこかに居場所をみつけて、そこではたらいて暮らしていこう、と決めました。

とはいえ、自分に合った職業って一体何なんだろうな…という感じだったので、この時期は「向いている仕事 30代」などのワードで検索して、ヒットした記事を手当たり次第読んでみたり、関連しそうな書籍を読んだりしました。

特に鈴木祐さんの「科学的な適職」は、他にはないアプローチで「適職」に迫っていく内容で興味深かったです。


自分なりに方向性を定め、就活を経て、アニメや漫画のグッズメーカーで事務職として働き始めました。
担当したのは主に生産管理と営業事務でしたが、小さな会社だったので、コミケなどのイベント時にはブースの設営や売り子をすることもありました。

脚本を書くために独学で習得したタッチタイピングと、
臆病による空気読みにより身に付いた持ち前の常識力で、
さほど苦労せずに事務職として生き始めることに成功しました。

とはいえ、事務としてのスキルを客観的に証明するものがあったほうがいい、と思い
この頃に、Microsoft Officeの資格 を取ったりしました。

トヨモト
トヨモト

このとき就職した企業に長く勤めるつもりだったのですが、恐ろしいほどのブラック企業だったので、4年で退職しました。
「このままここに居たら自我が破壊される」と思いました。4年は耐えた方。

転職活動を進めながら、
今後もしまた転職することになったときに、武器になり得るスキルを身に付けたい
と考えていました。

MOS資格を取った流れで、独学でVBAを学び始めていたこともあり、そのあたりを実務で使えるレベルにできたらな、と思っていたところ、ちょうどぴったりの求人をみつけることができました。

「事務 兼 業務改善」という立ち位置で、一般事務もしつつ、VBAやSQLに精通した先輩のもと一からスキルを身に付けていく、という内容。(詳細は割愛しますが、トヨモトが入社した会社と配属先の企業との間に業務委託契約が結ばれていて、出向で常駐という立場での入職でした。)

配属されたのは、旅行関連(いわゆるOTAの運営)の事業部でした。

がんばろうって思ったのに

ところが、実際にはたらき始めると、当初の話とずいぶん違う状況に置かれてしまいました。

結論から言うと、トヨモトの求めていたような教えを先輩から得る機会はほぼありませんでした。
専門性のあることは引き続き先輩の手元で捌かれ、それがわたしに教えられることはなかったのです。

これは、社内の状況が変わったり異動があったりなど、様々な原因が重なった結果だったわけですが…それはそれとして、トヨモトの人生のうちの何年かが「思てたんとちがう」状況になってしまったことにほかなりません。

しかし、この方向性で走り始めてしまっていたので、会社側に言うことは言いつつ、独学で勉強を続け、1年が経つ頃には、学んだことを実務に取り入れられる程度にはなりました。

流行と流れに身を任せる

勤め始めて2年半ほど経った頃、COVID-19の世界的な流行に見舞われました。
同じ部署にいた派遣社員の方は、早々に契約終了を言い渡されていました。
うちも遠からず同じ状況になるだろう、という予想は当たり、出向先からの引き上げが決まりました。

このままここに居てもなぁ、という思いもあり、ここらで転職するか…とも考えたのですが、同じ企業の別事業部が人を探しているのでそちらに異動しないか、という打診がきました。

いわゆる「コロナ禍」のなかでも、この先どうなるのかがまったくわからないような時期だったので、下手に動いて転職に失敗するくらいなら、一旦求められている場所でもう少しがんばってみることにしました。


異動先は、主としてECモールの運営を行っている部署。
配属された先でのトヨモトの業務は、役職者付きのアシスタント 兼 一般事務 兼 グループセクレタリー、といったような内容でした。
要は「偉い人のそばにいてなんでもやる」みたいなことです。

事業部のなかでも、品質管理を担う部署だったので
出店している事業者や出品物や広告に対して、景品表示法上の問題がないかチェックしたり、問題がある場合は是正するよう依頼したり…というような業務で、いわば「マイナスが発生しないように見回る」ようなイメージの仕事でした。

わたしは一体なにができるんだろう

この頃、なんの専門性も持てていない自分に対して「わたしは一体なにができるんだろう」と常々感じていました。

振り返ったいま、この頃の気持ちを正確に言語化するとすれば「『これなら任せてください!というもの、わたしにはこの先もずっと無いままなんだろうか」だったろうと思います。

そういう劣等感のような思いがあったので、異動した先で「組織全体が効率的に機能するよう、想像力と洞察力をもって調整する役割を担っている」と評価していただいたときには、とても不思議な気持ちになりました。

これまで当たり前にやっていたことが、実はしっかり「わたしが得意なこと」だったんだ、と、ここでようやく気付いたのです。

この歳になったからこそ客観的に認識できたことですが、トヨモトは、良くも悪くも真面目で几帳面で臆病です。
なので、人より周りの状況を見て、先を想像して、動く癖がついているようです。
半面、未知のことに飛び込む時にかかるストレスが人より大きいという代償?があります。
はじめて訪れる場所は不安なので、下見に行ったりGoogleEarthでルートを確認したり。
初めて使う機械はもたもたして他人に迷惑を掛けないか心配なので、「〇〇 使い方」でネット検索して予習してから挑んだり。
また、せっかちなので「どうすれば効率よく進められるか」みたいなことを無意識に常に考えています。

こういう、自分にとっては当たり前で、「自分の心を守るため」や「自分が心地よく過ごすため」としてやっていることにこそ、「これなら任せてください!」と言える「なにか」へのヒントがあったんだ、と
この時、実感を持って理解しました。

それからは、この「得意」を活かせるような仕事に就けたらいいな、と思うようになったのです。

「デザイナー」が職業の選択肢に含まれた

そんな気持ちの変化を経つつ、業務でWEB広告やサイトに触れる機会が増え、このときにはじめて「WEBデザインってこういうやつのことを言うのか💡」と知りました。

そして、以下の記事にもあるように、「WEBデザイナー」が、職業の選択肢に含まれることになったのです。

トヨモト
トヨモト

デザイン自体に興味を持ったのももちろんなんだけど、わたしの「人よりちょっと得意」であるところの「想像力・洞察力・調整力」が活かせる仕事だ!と思ったんだよね

わんまる
わんまる

たしかに、デザイナーでもディレクターでも、クライアントさんの意図や要望を汲み取って形にしていく過程でその力は活かせそうですな!

おわりに

というわけで、今回はトヨモトの経歴について紹介させていただきました。
お読みくださったあなたにとって、なにかヒントになることがあれば幸いです。

長々と読んでいただきありがとうございました!
ごきげんよう~

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